ローカル線の始発駅だから、座席は空いていた。
じゃまにならずにうまい具合に荷物をおける角の座席を確保できたので
今日は座って帰ることにした。
「あらお兄さん、山に登るの?」
大きな輪行バックを抱え、派手なジャージを着て電車に乗り込めば嫌でも目立つ。
都会なら目立っても無視されることが常だが、地方では違っている。
だが幸いなことに、声を掛けてくるのはたいがい、気持ちのいい人たちばかりだ。
「いいえ、これは自転車なんですよ。」
「あら、いいわね。やりたいことを、おやりになるのは。」
向かいに腰掛けた彼女の声は、歌うように朗らかだった。
「若さも時間もお金も、持っている時に使うものなの。
あの時やっとけばよかった、って後悔はね、想い出にはならないのよ。」
終戦間近、彼女が働く軍需工場は大規模な空襲をうけて町ごと焼かれたのだそうだ。
帰り道でつかれていた僕は、身構えてもいないところにいきなり速球を投げ込まれて、
少しうろたえた。
「昨日元気に『さよなら、また明日ね。』って別れた人が、朝にはもういなくなっているのよ。」
「だからね、」と彼女は笑う。
「持ってるものは使えるうちにつかって、みんな想い出に替えておくことよ。
楽しかったことは、あとから思い出しても楽しいものだからね。」
ひとしきり喋ったあと、
「冷蔵庫がね、壊れたの。食べるものがなくって大変だわ。」
そう言って彼女は眠そうに目を閉じた。
苦労が多いから不幸だとか、お金もちだから幸福だとか
人の幸不幸を他人があれこれ言うのはナンセンスだと僕は思う。
だけど同時に、人は他人との関わりがなければ生きられないし、
他人の踏みならしてきた道を歩けたからこそ
僕たちがここに居れるのだということも忘れずにいたい。
彼女の見る夢が彼女にとって幸せなものであるようにと、切に願う。
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