計算機の系譜その1 TK-80

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興味ない人にはどうでもいい話ですが、つい30年前まではディスプレイとキーボードが装備されたコンピュータなんて高価すぎて手が出るもんじゃありませんでした。

「AppleⅡはカラー表示できるらしいぜ」なんて聞いても本物は見れません。
信じられないでしょうけど、日本にはAppleの販売代理店すらなかったのです。

かじりかけのリンゴはグラビアに登場する洋楽のアイドルのごとく、文字どおり指をくわえて眺めるしかない高嶺の花でありました。

Appleに限らず、当時はコンピュータ本体に触れる機会は本当に少なかった。
当時の電気マニアの少年達は、教科書の裏表紙にあるピアノ鍵盤の写真で練習する少女(いまどき、そんな教科書すらみかけませんが)のごとく雑誌と口コミから情報を集めながら空想のキーボードに向かってコードを打ち込む夢を見ていたのでした。

そんなかわいそうな少年達に、実機に触る夢を与えてくれたのがこのTK-80です。

こいつは貧乏少年でも頑張ればなんとか手に入れることができる価格で発売された、
日本で最初の「マイコン」(マイコンピュータとマイクロコンピュータを掛けたと思わる略語。そのダジャレセンスが悪かったのか、すぐにPCという言葉に置きかわってしまいました。)です。
このコンピュータにはディスプレイどころか筐体すらなく、基盤に直づけされた16進のスイッチから機械語を直接打ち込む、という、およそ完成品とは思えないような代物で、実際、これは完成品ではなくて自分でハンダ付けして組み立てるキットとして販売されていました。
直流電源装置も自作する必要があり、稼働まで持っていくのにはそれなりのスキルとガッツが必要でした。その苦労もあってか、自分で打ち込んだプログラムが思い通りに動いたときはほんと、感動的でした。
外部記憶装置が無かったので、電源落としたらプログラムも消えてしまうという、その刹那的儚さもあいまって、これは正に「マイコン少年の夢」であったのです。

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おっと、昔話は「知ってる人しか楽しくない」のでしたね。


シリーズ:国立科学博物館


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