明治村を歩く 旧帝国ホテル中央玄関

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言わずと知れた帝国ホテル。
「玄関だけ」とはいっても、往時の威容を偲ぶに充分な立派さです。

かのフランク・ロイド・ライトの設計で、海外にもその名を知られた名建築です。
ここを取り壊してビルを建てるとなった時は、かなり大規模な反対運動が起こったそうですが、高層化すればその数倍の客室を確保できる都心の一等地の広大な敷地に、低層で非効率なホテルを許すゆとりはなかったようです。

そこで明治村へという訳ですが、建物をバラして組み立て直すにはべらぼうな金額がかかるうえ、広大な敷地を有する明治村でもさすがに建物全部を移築する余裕は無く、中央玄関部分のみが再現されることとなりました。


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この建物が完成したのは大正12年。明治を過ぎているので厳密に言うと明治村にあるのはオカシイですが、この名建築を保存する場所として文句を言う人は居ないでしょう。

ちなみにその完成落成式が予定されていた9月1日は、関東大震災の当日でした。

未曾有の激震により周りの建物一切が形を無くす中、ただ帝国ホテルのみが無傷で建っていたというのは伝説的なエピソードです。

「どうしても納得いくものを創りたい」
と、再設計を繰り返し、当初の予算を6倍にまでオーバーさせたところでとうとうクビになってしまったロイドは、本国でこの話を聞いて不謹慎にも小躍りして喜んだと伝えられています。

残念ながら客室を見る事はできませんが、玄関部分は3階まであって部分移築だというのに明治村の中にあって最大の建築物となっています。
柱に施された彫刻、広いホール、赤絨毯、気品ある調度品。

さすがの内装です。

予算の6倍はあんまりですが、ロイドがそこまでこだわらなければこの名建築は生まれなかったかもしれません。

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2階部分に、どういう因果関係があるのかポーツマス条約調印で使われた机なるものが展示されていました。
その条約締結は、大国ロシア相手に見事な引き際と評価されるべきはずの交渉でしたが、賠償金をとれなかった事でマスコミの大反発に会い、大戦と破滅へ世論が動くひとつのきっかけになってしまいました。
「評価は歴史がする」なんて言葉がありますが、できれば間違わずに進みたい。
評価するより学びたいものだと、近頃とくにおもいます。




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