エッセイ集「夫の悪夢」




出会いは、なにも人に限ったものではない。


待ち合わせ場所に早く着いてしまい、持て余した僅かな時間を埋めるために入った本屋で、それこそ何の気もなく手にとった本に魅了されてしまい、不思議なめぐり合わせを感じるような瞬間があった。

これも出会いというものであろう。

無造作に平積みされた文庫本の山の中から選ぶともなく取り出した本だったが、
中見出しを開いた途端、やられた。

そこに載っていたのは三人の幼い子どもたちに囲まれて微笑む作者のポートレート。

少しいたずらっぽかったり、かしこまったり、子供たちそれぞれの個性を活き活きと現す表情が切り取られた逸品で、写真館のショーウインドウを飾る家族写真としても申し分ないのだが、それより僕の目を引いたのは、下に添えられた作者のコメントの方である。

「…私のパスポート写真。
どこの国へ行っても入国審査官がこの写真を見るや笑い出した。」

この人の感性で書かれたエッセイなら、もう面白いに決まっている。

作者は藤原美子氏。
夫で数学者の藤原正彦氏もまた著名なエッセイストとして知られ、さらに彼の父はあの新田次郎なのだそうだ。
もちろん、彼女の作品はそのようなバックボーンで修飾される必要などないが、
学生時代の休みの大半を山で過ごしていた僕にとって新田次郎は特別な作家だったから、
その近親者の書く文章だということにも別な興味が湧いてくる。

そして、彼女の文章はそういう僕の勝手な期待を裏切らない。

エッセイは家族への愛情で満たされていて、ともすればノロケや子供たちの自慢話で終わりそうな話だが、彼女の独特の視点とユーモアに満ちた表現によって一切嫌味を感じさせないどころか短いエッセイの一つ一つを読み終わるごとに気持ちがときほぐされ、自分の表情も柔らかくなっていくような気分にさせれていくのだ。

引っ込み思案な僕は初対面の相手との距離を測るのが下手なせいで、他人に心を許すには多少の時間がかかる。だから、偶然会った人とイキナリ仲良くなることなどほとんどありえないのだが、相手が本なら話は別のようだ。

偶然が重なった小さな出会いだったが、ひとつ幸せを見つけたような気分である。



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