「もうちょっと手入れしたってもええのとちゃうか。」
などと誰に告げるでもない不満をつぶやきながらぶらぶら歩き回って無為な時間を過ごしたものです。
「あれはな、ほんまは天皇さんのお墓やねんぞ。」
と歴史の先生に航空写真を見せられ、ああ、なるほど前方後円墳みたいな形してるなあ、と妙に感心したりしましたが、何しろその学校自体が旧石器時代の遺構の上に建っているという土地柄で遺跡のたぐいは珍しくもなく、
「だいたい天皇家の陵墓っちゅうもんは仁徳天皇陵みたいにでっかいもんやろ、」
「本物は宮内庁っちゅうお役所がきっちり管理してはるみたいやし」
「ここはまあ、ニセモンちゅうこっちゃな。」と、
天皇家との関わりはともかくそこが古墳である事には違いないはずなのにすっかり偽物あつかいで、どう頑張っても一流にはなれそうにない中途半端な高校生だった私は、忘れ去れたような扱いをうけるその遺跡に、勝手に親近感を感じさせてもらってました。
ところが、それは本物の古墳ですから掘ればそれなりのモノが出てきます。
何で今までほったらかしだったのかは知りませんが、最近になって発掘調査をしてみたらわんさかお宝が見つかって、規模の大きさらや発掘遺物の年代やらが真面目に測定された結果、噂だけでなくどうやら本当に大王の陵墓であった可能性が高くなり、そしたら回りの関心も手のひらを返したように高まって、とうとう雑木林は大掛かりに整備され、立派な史跡公園になっちゃいました。
釣り堀と化していたお堀の池は埋め立てられて芝生で覆われ、墳丘を囲んでいた雑木はすっかり整理されて遊歩道に並ぶ街路樹になり、まったくきれいに生まれかわってしまったのです。
なんでも儀式に使われたとみられる埴輪がかなりの規模で出土したんだとかで、その同じ場所に大量のレプリカ埴輪がどどーんと並べられています。
すぐ隣には、なんと立派な資料館まで建てられました。
かなり気合いの入った模型やジオラマなどと一緒に本物の出土品なども展示され、見応え充分で、しかも無料で見学できます。
ついつい、「高槻市は儲かってはりますな。」と余計なことをつぶやいてしまいました。
これほど大規模に整備したにはそれなりの理由があるのでしょうけれど、いずれにせよ、史跡として保存されることは悪い事ではないのでしょう。
個人的には、古代の遺跡を地中に眠らせたままひっそりと森に帰っていく姿のほうが魅力的に思えたりしますが、これはまあ、昔は同じ輩だと思ってた同級生ががえらく出世してしてしまった、というヒガミのようなものでしょうかね。
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