昭和の船、宗谷


商船として生まれながら軍の特務艦として南方の激戦へ駆り出され
、終戦後は樺太からの引揚者を本土へ運んだ。その後灯台の補給船として全国を巡りながら退役間近の余生を過ごしていたところを大改造を受けて南極観測船として再生し、日本中にその名が知れ渡ることとなった。南極観測船を解役後も、巡視船として十数年に渡って活躍し、北の海で多くの遭難救助に貢献したという。

オンボロ船なのに一向に引退させてもらえず働き続けた、まさしく激動の昭和を生き抜いた船である。その船体は小さく、また古びたものであるけれど、静かな海面に佇む姿からは大きな誇りと威厳が感じられる。

退役後30余年経った今でも船籍は抜かれておらず、その気になれば航行可能なのだそうだ。あるいはまた、出航の機会があるのかもしれない。昭和の船は働き者なのである。


船首甲板に備え付けられた救命浮輪。
退役後にお色直しされたはずだが、塗装の痛みは、それからさらに30余年の月日が流れたことを示している。

船首甲板からブリッジを見上げる。
無数の波と雨と風と雪を受け続けてきた壁である。



船体中央の機関部は随分とこじんまりしたものだ。この小さな機関が、地球の底の大陸まで船と乗員を運んだのか。


ひっそりとした船室の通路。
すこし屈んで歩かないと隔壁の敷居に頭をぶつけてしまいそうだ。



ブリッジ内部。アナログな感じの操船機器が整然と並んでいる。
古びてはいるが、朽ちてはいない。
なにしろ、整備すれば今からでも出航できる船なのだ。



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