京都の夜

観光の要たる旧所名蹟が日暮れ前に早々と門を閉ざしてしまった後、京都の街は思いの外に暗くなる。

夜の間に新幹線を降りて駅前に立つと、寒々と浮かび上がる京都タワーの他は目立った電飾は無い。大手ハンバーガーチェーンは看板に原色を使うことを控えているというが、ここでは夕闇に抗うための街灯は控えめであるものらしい。

例外的なのは四条通と河原町通りが交差する京都一の繁華街である。
白々とした照明付きの屋根に覆われた歩道は、京都市が人口140万の都会であることを思い出すに十分な明るさだ。だがよく見ると、その明かりは四条と河原町の本通りに向けてしか照らされていないことに気づく。
直角に交差する狭い路地の奥は、どこも総じて暗いのである。



暗い路地の奥にあるのは、たいがいの場合飲み屋かお茶屋である。
闇の中に浮かび上がる仄かな明かりは、静かで温かい。

この先斗町の入り口も四条通に面しているが、曲がるのにはちょとした勇気がいる。
やはり暗い上に本当に狭いのである。
カップル同士が出会うと、どちらかが道を譲らなければ行き違えないほどである。
場所が高瀬川と鴨川の間に位置するところから、
「皮と皮に挟まれてる鼓は叩けば”ポン”となるやろ」という持って回った判じ物のような話を名前の由来に持つそうだ。「知ってるお人にはわかりますやろ」という、どこか他人を拒絶するような頑なさを感じる。
そう言えば、「一見さんはお断り」というのはこの通りの台詞だった。

そんな先斗町も、時代には逆らえない。
建物を新しくしようとすると消防法に引っかかって壁面を後退させなければならないらしいのだ。この風景は、いつまでもこのままではいられない。

夜は本来闇である。
暗くて危険でいかがわしいのが正しい姿だ。
過度な明かりは夜を夜でなくしてしまうが、それは安全を望む人の願いでもある。

京都のひとがよく使う「ちょうどええ塩梅」というのは存外難しいものである。







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