大体において、日本人は拝む対象に頓着しないもののようです。
日本古来の神様はもとより、
インドから来ようが砂漠から来ようが、
相手が偶像だろうが木だろうが石だろうが山だろうが、
果ては紙切れや茶碗に向かってでさえも手を合わせます。
神様と仏様の区切りもあまり気にしません。
そもそも神道は多神教だし神様の何人かはいつの間にか仏様になっていたりして
いったいどれが誰なんだか。
土着と外来の神仏がごちゃまぜになって生まれた多様な偶像が、
ここ東京国立博物館に納められています。
上の写真は軍荼利(ぐんだり)明王。
ヒンズー教の神様だそうですが、いつからか密教曼荼羅に登場し
仏法を守る仏の一員になりました。
額の第三の眼は悟りを開いた証だそうです。
不動明王。
こなれた和名ですが、やはりヒンズー教のご出身。
サンスクリット語の本名はアチャラ・ナータとおっしゃるそう。日本では、大日如来のたくさんの化身たちのひとりということになってます。
明王の他に天という仏さまもありますね。
こちらは四天王の一人広目天。
なぜだかみんな怖い顔。
彼らが製作された奈良時代には、すでに世は末法と認識されていたそうです。
博物館に納められ、美術品となって手を合わせる人もいなくなってしまった仏様たちは、
今の世を何と呼ぶのでしょうか。
シリーズ:東京国立博物館
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