冷静なこころを保つために


古いフォルダをながめていたら、プロジェクトリーダーをやっていた頃の文章を見つけました。近ごろ私事でちょっとしたトラブルに見舞われたのですが、その時自分の気を落ち着かせるために取った行動が昔とちっとも変わってないということを発見して、懐かしくもあり、また進歩のなさが情けなくもあり。
このブログには似つかわしくもなく、かつ文章自体「上から目線」でこっ恥ずかしいのですが、せっかく拾い上げたものですから、表に出して虫干ししてあげたいと思います。だから読まなくてもいいですよ。


経営者や政治家などといった特別な立場の人間でなくとも、社会生活を営んでいれば何かしらの問題に直面し解決を迫られる場面に遭遇するものです。
このとき人は、状況を的確に見極めるための情報収集能力と分析力、最善の方策を導き出す論理的思考と想像力、事態を収束へ向かわせるための計画と戦略、潜在的あるいは突発的リスクに対応するための柔軟性と決断力など、いわばそれまでの人生で培ってきた総合的な能力を試されます。
しかしそれらの能力をすべて持つ者であっても、心を乱し冷静さを保てなければ判断を誤り事態を悪化させてしまうことがあります。逆に、豊富な経験や能力を持ち合わせていなくても心の平静さを保つことができたなら、自らが持つ力を最大限に発揮して問題に対峙することができるでしょう。

そこで今回は、非常時にいかに冷静な心理状態を保つのか、ということについて考えてみたいと思います。

大きなストレスのかかる非常事態に直面した時、人の冷静さを阻害する要因は大きく言って「不安」と「感情」の2つです。「不安」は焦りを生み、「感情」は客観性を失わせ思考を偏らせます。ではどのようにこの2つの要因をコントロールし、自身を冷静に保つことができるのでしょうか。
まず「不安」ですが、「いったい何が起こっているのだろう」とか「この先自分はどうなってしまうのだろう」とかいうように、「不安」が「未知」によって引き起こされるものだということは容易に理解できるでしょう。ようするに「わからないこと」を無くしていけば、それに比例して「不安」は消えていくということです。
ただし同時に、「不安」は「おそれ」という「感情」につながるものでもあります。大きな不安を抱いたままの不安定な心情では情報の真偽や重要性の判断を誤ってしまうかも知れず、インプットされた情報が誤っていればその後のいかなる対処も無意味になります。
つまり、いかに自分の「感情」をコントロールできるか、ということが、冷静な判断を下す上で重要なカギになる、ということなのです。
そして自分の感情をコントロールするために最も重要な事は、「冷静な判断を下すためには、自身の感情をコントロールすることが最重要だ」というこの事実そのものを理解し自覚することなのです。「感情」は人間の本能からくる強力なものですから、これを「理性」によって制御するためには対抗しうるだけの明確な論理を用意しなければなりません。「冷静な判断を下すために」という目的に対し、「自身の感情をコントロールしなければならない」という戒めを理性の中で常に自覚しておかなければ、感情の衝動には勝てないのです。

さて第一歩としての自覚を持ったところで、いよいよ自分の感情に向き合いコントロールする術について考えなければなりません。
これは心の問題ですから人によってそれぞれやり方は異なり、結局自分に適したやり方を手探りするしか無いのですがそう言ってしまっては身も蓋もありません。
一つの例として、よく使われるリストアップ法(この名前が公に認知されているものかはわかりませんが)というのがありますのでこれを紹介いたしましょう。

非常事態に直面した時、人の頭のなかは様々な思考で一杯になります。
「いったい何がおこっているのだ」「自分は何をなすべきなのか」「◯◯のせいでこんな事態になったのだ」「おれのせいじゃない」「おれはなんて可愛そうなんだ」
とかなんとか、まあ最初に混乱するのは仕方ありませんが、こんなことをグルグル考えているだけでは一歩も動けないことは確かです。
そこでまず、ぐるぐる回る自分の思考を思いつくまますべて文書にしてリストアップしてみるのです。そしてそのリストをながめ、自分の感情からくるものにチェックマークをいれて、考えるべきことから排除していきます。あなたがプロジェクトリーダーのような指導的立場にあるのなら、自身の自己保存や利己的な思考も排除すべきでしょう。次いで残った項目に優先順位をつけていき、今対処すべきものとそうでないものを仕分けていきます。そうすれば自ずと考えるべき項目が洗い出され、そこへ意識を集中させることによって落ち着きを取り戻していけるのです。訓練すればこれを紙やペンに頼らず、しかも一瞬で行うことができるようになります。
ここで重要なことは、排除された項目は「今考えるべきことから排除された」ということに過ぎず、依然として頭の中に残っている、ということです。あなたはこれから問題が解決するまで、この項目たちとつきあっていかなければなりません。心が弱ったり迷ったりした時、彼らは再びあなたを支配しようとします。ですから、「この項目にはチェックマークをつけた」ということをしっかり覚えていてください。上達すると、オンの場面では思考から排除し、オフの場面であえて呼び出してストレスを発散させる、という離れ業さえできるようになってくるでしょう。

ところで、「思考から排除する」とさらっと言ってしまいましたが、実はこれが大変難しい。なにしろ「感情」は「理性」より強力ですから、チェックマークをつけたからといって容易に思考から排除できるものではありません。ではどうするのか。
ここまで来て、また「人それぞれ」と言ってしまっては、せっかくここまで聴いて頂いた方に申し訳ないですね。そこであまり格好がよろしくないので恥ずかしいのですが、私のやり方をこっそりお話しいたしましょう。
私は、先ほど申しましたとおり人間の感情は本能からくるものと考えています。本能は自己防衛や自己保存を再優先させますから、「自分を守ろうとする感情が最も強い」と演繹的に結論付けられます。それならこの感情からなんとかしよう、ということになりますね。
「自己憐憫」という言葉をご存知でしょうか。先ほどの例で言えば「おれはなんて可愛そうなんだ」という感情ですが、「なんでおればっかり」とか「問題をおれに押し付けやがって」とかいったネガティブな思いもこれにあたります。そしてこれこそ、たった今お話した制御すべき感情なのです。敵の名前がわかりましたね。
名前が分かればフラグをたてるのは容易です。私はこの「自己憐憫」を最上級の危険フラグと位置づけ、こいつが心に現れそうになった時、支配される前に大急ぎでブレーキを踏む!と常に心がけて警戒を怠らないようにしているのです。私のブレーキは心を囚われて犯してきた多くの失敗と後悔の記憶ですから、けっこうしっかりと効くんです。
ようするに、非常日常に関わらず常に警戒して一番危険な思考を表に出さないように心がけている、ということに尽きるわけです。
私はそもそも心が弱いので、一旦この感情に囚われたら抜け出すことは容易ではありません。克服なんてとんでもない。だから、入り口に足を踏み込まない、と決めているわけです。逃げまわっているだけの危なっかしいやり方ですが、だんだん慣れて加減がわかるようになってきたので、今のところなんとかこれで間に合っています。
ほら、格好わるいでしょう。でも正面から向き合って組み伏せるほどの強い心を持たなくても、こんな風になんとか凌ぐこともできるんです。だから、あなた自身のやり方だってきっとみつかるはずでしょう?

蛇足のようですが最後にもう一つ。思考の意識レベルについて簡単にお話しておきましょう。

問題が発生すると、なんとか解決への道筋がたつまでは、と、そのことばかりを一生懸命考えてしまいがちですが、実はそれはあまりいいことではありません。
フラグが立つ立たないにかかわらず、問題に対応するための項目で頭をいっぱいにしてしまっても思考が近視的になり、客観的な判断が難しくなるからです。
私の経験上、思考項目の意識レベル(非常に曖昧で主観的な表現ですが)を大雑把に以下のようにすると、いいアイデアが浮かんでくるようです。

最上級の危険フラグ付き 瞬殺。
危険フラグ付き 限りなく0%に近づける。
フラグの立っていない項目 優先順位によって10~30%

残り(つまり70%程度)は別の意識で埋めてしまいます。

私の場合はジョギングや自転車に乗って、できれば晴れた太陽の光を感じながら気持よく運動することを第一にしてそこに意識を集め、残りの意識で考えるってことをやってます。こうして考えると物事を客観的に捉えることができ、いいアイデアが浮かんでくるんです。
アイデアを得たところで改めて問題に意識を集中し(今度は意識レベルを最大限に上げて)、細かい段取りまで立ててしまいます。
そうすれば大きな安心を得ることができ、感情を安定させることができるので「冷静」になれ、さらにいい判断ができる、という好循環に入れるってわけなんです。

さて、今日のお話は以上です。あなたが非常時に冷静でいられるために、少しは参考になることがあったでしょうか。後半に述べた私のやり方についてはともかく、感情をコントロールするためには理性による強力な理由付けが必要であることは間違いありません。どのようにその理由を見出すか、そのことがきっと表題のカギとなるはずです。


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